越知山ハイキングコースと周辺史跡
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越知山 おちさん
泰澄が開山した越前町と福井市にまたがる612.8mの丹生山地主峰のひとつ。泰澄が幼少の頃、「越知山で修行せよ」との夢のお告げで毎夜越知山に登り青年の頃まで修行を続けたと伝えられる北陸最古の修験霊場です。白山信仰の原点、日本百霊峰の名山ですが、現在は登山道も整備され初心者やファミリーコースとして気軽に楽しめる山として人気です。
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独鈷水 とっこすい
越知山表参道の中ほどから少し下ったところに、県内では最も冷たい霊水が湧き出ている「独鈷水」があります。泰澄が手にしていた独鈷で岸壁を一突きしたところ、岩の割れ目から清水が湧き出たといわれています。現在も落差1m程ではありますが、一年を通して水温9度の常に清らかな水が流れ出ています。古来より眼病に効くといわれ、今も水を汲みに来る人がいます。
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奥の院 おくのいん
日本海を背景に越知山山頂に建つ越知山三所大権現の三の宮です。泰澄が越知山中で仏道を求める厳しい修行の中で、この場所から遥か遠くに望む神々しい白山をどんな気持ちで眺めたのでしょう。周辺のブナ原生林が霧に包まれると幻想的な世界が広がり、天気の良い日には遠くに白山や日本海を望むことができる絶好のビューポイントです。
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縁結びの松 えんむすびのまつ
越知神社境内にある神宝庫の横には縁結びの松があり、『越知はよいとこ一度はおいで神の恵みの縁結び』という古唄も越知神社の古文書には記されています。昔から、越知山の祭神は縁結びの神として知られ、男女は良い出会いを求め祈願のために参拝をしました。縁結びの松に参道や社殿の周りにある松の枝を結び付けると望みが願うと伝えられています。
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六所山 ろくしょざん
越知山も含まれる丹生山地の最高峰(698.3m)。かつて越知山信仰の熱心な信者たちは越知山の「別山」として越知山室堂から花立峠を経て六所山に参拝していたといいます。この約6kmの登山道を「祈りの道」として泰澄塾が再整備し、地蔵像も設置し往時の姿を取り戻しつつあります。展望の良い山で遠くには白山、近くには日野山など丹南の山々が見られます。
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越知神社遥拝所 おちじんじゃようはいしょ
大谷寺境内の北側に越知神社の里宮があります。一般的には越知神社遥拝所と呼ばれています。明治の神仏分離令により、越知山全山を統括していた別当が神道を選び、今の遥拝所が建立されました。社殿中央には木造毘沙門天立像、左には木造泰澄大師坐像、右には昭和56年(1981)の豪雪で廃村になった茗荷村神明神社の御神体を合祀してあります。
越知山山岳信仰の地、越前町
泰澄が開いた越知山を中心に、越前町内ゆかりの地を巡ります。
越前町には越知山を含む丹生山地が連なっています。
古くから山岳信仰の一大聖地であり、泰澄ゆかりの社寺や仏像が全国で最も多く残されている地域です。
越知山の越知神社周辺や泰澄入滅の地大谷寺、泰澄創建の福通寺などがあります。
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大谷寺
泰澄がまだ「越の大徳」と呼ばれていた11歳(692)のときに創建したといわれる元越知山のふもとに位置する北陸屈指の古寺です。本尊は、白山信仰諸仏で最古の十一面観音菩薩・聖観音菩薩・阿弥陀如来の三所権現本地仏です。毎年11月3日には明かりを灯して仏や菩薩を供養する万灯会が開かれます。
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越知神社
越前五山の一つとして信仰を集め、泰澄が修行をする前より修験霊場とされた越知山。境内には別山、霊水、千体地蔵尊などの史跡が数多くあり、毎年7月18日には例大祭が行われています。昭和48年には越知山山岳信仰史跡に指定され、『日本百霊峰巡礼』にも選ばれました。全国各地から多くの参拝者が訪れています。
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八坂神社
社伝によると、八坂神社は約1800年前に開かれたとされ、安置されている十一面女神坐像は、頭部は十一面観音、体部は女神という珍しいお姿です。同じく収蔵殿には、国の重要文化財に指定されている平安仏像群五躯も安置されています。7月には八坂神社独自の祭り、獅子渡御・祇園祭・水無月祓が催されます。
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朝日観音福通寺
泰澄が717年に開いた古刹。
泰澄は無病息災のために正観世音菩薩を、災難厄除けのために千手観音菩薩を作り、そして五穀豊穣・万民快楽のために稲荷・八幡の両鎮守神を安置されました。観音堂からは一年を通して白山を見ることができ、泰澄も修行の折り、この場所から白山を遥拝したことでしょう。
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1千手観世音菩薩立像 【福通寺・越前町】
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2十一面女神坐像 【八坂神社・越前町】
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3十一面観音菩薩坐像(秘仏) 【大谷寺・越前町】
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4正観世音菩薩立像(秘仏) 【福通寺・越前町】
Q 各仏像の特徴を教えてください
1_千手観音のたくさんの手はあらゆる手段で人々を救うことを表しています。精悍なお顔立ちや力強く合掌する中央の手と合わせて、拝む者に強力な救済力を感じさせます。
2_頭の上は十一面観音の十一面、顔から下は女神の姿という大変珍しい神仏習合像です。女神で十一面観音を本地仏とする白山神の姿を表したものと考えられています。
3_阿弥陀如来座像、聖観音坐像とともに三所権現の本地仏として作られた十一面観音像です。平安末頃の京都の作風をよく表した美しく穏やかなお姿で、当時の越知山大谷寺の隆盛振りが偲ばれます。
4_泰澄大師御自作とされますが、今見るお像は鎌倉時代の作で、当時最新の仏像ファッションである「宋風」を採り入れ、菩薩像としては珍しく法衣を着ています。衣のドレープの美しさなどに一流の仏師の技を見ることができます。
この方に聞きました
藤川 明宏氏 ふじかわ・みょうこう
朝日観音福通寺住職。SNSで話題の三角縁神獣鏡チョコの発案者でワークショップの主宰者。地域の人々と共にある仏像を旅して廻るのが趣味。
福井県内にある泰澄ゆかりの地
泰澄は幅広い交流を求めて歩きました。
福井県内には泰澄ゆかりの寺社、仏像、山が400以上あるといわれています。
その数が全国的に突出しているのはやはり泰澄が福井で生まれた人物だといえるから。
そのなかでも特に泰澄とゆかりの深い場所をご紹介します。
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泰澄寺【福井市】
35歳の泰澄が、白山に赴く際に彫刻した自作の坐像を祀った祠がはじまりとされる現在の泰澄寺。境内には、泰澄誕生時に産湯として使ったとされる『産湯の池』があります。また、大師堂の裏には白山大権現社があり神仏習合もうかがえます。現在、坐像は福井市立郷土歴史博物館に寄託されています。
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平泉寺白山神社【勝山市】
「平泉寺六千坊」とうたわれた勝山市の国史跡白山平泉寺旧境内。泰澄が初めて白山に登ったのはこの地からでした。本格的な発掘調査が始まってから28年を迎え、白山信仰を背景とした一大宗教都市の姿が鮮明になってきています。中世ではほとんど例がない「石造りの都市」が除々に姿を現しつつあります。
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中山寺【高浜町】
平安時代(806)泰澄大師ゆかりの僧により平城天皇の勅願により創建したと伝えられています。当時、青葉山の頂上に住んでいた泰澄が釈迦、阿弥陀、観音の三尊を安置したとされていますが現存はしていません。創建より1300年近く続くこの中山寺は、北陸三十三ヵ所観音霊場の第一番寺院となっています。
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大瀧神社【越前市】
かつては大瀧寺と称し、719年に泰澄が創建したと伝えられています。中世には白山信仰の霊場として栄えました。標高約300mに位置する上宮と、ふもとにある下宮からなり、下宮は大瀧神社と紙漉きの技を伝えた川上御前を紙祖神として祀る岡太神社両社の里宮になっています。
越前町内の神社
神仏習合と泰澄Q&A
とても難しいと思われがちな「神仏習合」。専門的なお話を学芸員さんに聞きました。
- Q福井県民の信仰心の深さを表すものは何ですか?
- A全国的に見て神社・お寺の数が多いのが福井県、そしてお賽銭を入れるのも日本一多いという統計があります。
- Q「神仏習合」とは何ですか?
- Aみなさんの自宅に神棚と仏壇があるというのが神仏習合です。
- Q泰澄大師の記録や伝承が数多く残されているのに、知名度が低いのはどうしてですか?
- A国の正式な書物(国史)に出てこないからでしょう。
この方に聞きました
堀 大介氏 ほり・だいすけ
越前町織田文化歴史館の元学芸員。現在は佛教大学の教授。
博士(文化史学)。専門は日本古代史。継体天皇や泰澄大師などの研究に取組む。
もっと詳しく知りたい
越前町織田文化歴史館
泰澄についての展示や神仏習合を示す劔神社の国宝梵鐘のことがわかりやすく展示説明されている文化歴史館。奈良時代に泰澄が実在していた可能性を示す越知山 (612.8m)の山頂付近で発見した須恵器(8世紀)なども展示されています。泰澄を知るうえでは外せない場所です。
福井県丹生郡越前町織田153-1-8
TEL/0778-36-2288
休館日/月曜日(祝日・振替休日の場合翌日)、年末年始
開館時間/10時~18時(入館は閉館時間の30分前)
入館料/個人100円 ※中学生以下、70歳以上無料。