仏像と古墳と桜をめくる春のツアー
4月1日、令和5年度のスタートの日に、e-とこ朝日の【朝日の歴史文化に親しむ文化財ウォーキングツアー】に参加しました。
例年より少し早めに満開を迎えた桜があちこちで私たちを迎えてくれました。
今回は、越前町内外の30人近い人が参加し、中には県外から来られた方もおられました。
このツアーは、朝日観音、福通寺ご住職で学芸員でもある藤川さんと県の埋蔵文化財調査センターの御嶽さんというプロフェショナルなお二人がご案内くださり、ほぉ~、へぇ~の連続でした。
e-とこ朝日(朝日コミュニティセンター)
越前町西田中4丁目501
電話0778-34-7771
先ずは、越前町役場にほど近い田んぼの道沿いから丹生高校あたりを望みました。
ここから、朝日山古墳群が見えるのです。
越前町には、朝日地区、織田地区、厨地区を中心に古墳があります。
昭和25年、考古学者の斎藤優氏が、かつて鯖江と織田の間を走っていた鯖浦線(せいほせん)の車窓から経ヶ塚古墳を発見されたそうです。
古墳群の中にある丹生高校の坂道を登ると見事な桜が迎えてくれました。
所々にカタクリの花も咲いていました。
丹生高校のグラウンドでは、丹生高野球部が練習していて、敷地内を歩いていた私たちに挨拶してくれる礼儀正しさに感動しました。
丹生高校の南側にある経ヶ塚古墳は4世紀後葉頃の古墳で、全長71メートル、高さ5.5メートルあります。前方の円形の部分が小高くなっています。
経ヶ塚古墳の先を進むと、古墳公園があります。
朝日山古墳群には、経ヶ塚古墳と朝日山古墳という二基の前方後円墳と90基近い円墳、方墳があり(消滅しているものもあります)、昭和31年に県の史跡に指定されています。
古墳公園には、中学生の頃の遠足で来た記憶がおぼろげにあります。
ここは、桜の名所でもあり、コロナ前までは、桜の季節には毎年ぼんぼりが吊られ、多くの人が花見に訪れていたそうです。この日も絶好の花見日和でした。
古墳公園
福井県丹生郡越前町朝日
朝日観音へお詣りしました。
藤川さん直々に仏像や絵馬などのご案内を頂きました。
朝日観音 福通寺は、養老元年(717年)に泰澄大師によって開かれたお寺です。
縁起については、過去のこちらの記事で紹介しています。
中世の頃は「朝日寺(あさひじ)」と呼ばれていました。戦国時代、織田信長の朝倉氏侵攻などで世情が不安定になり、一向一揆の焼き討ちに遭いました。
伽藍は焼失しましたが、観世音菩薩像は難を逃れました。
朝日観音の名前の由来でもある「正観世音菩薩像」(お姿はHPでご覧ください)
菩薩様が袈裟を着られている姿は珍しく、中国宋の時代の影響を受けていると思われます。
左手には蓮のつぼみを持ち、右手で蓮を咲かせようとしているお姿をされていて、人々をあらゆる苦しみから救ってくださいます。
鎌倉時代の作と言われ、材質はかや、寄木作りで作られています。
朝日観音の秘仏と言われる正観世音菩薩像は、元旦と4月18日の春季縁日、8月10日の千日詣りにのみ御開扉されます。
観音菩薩さまの慈悲深く、お優しいお姿にぜひ会いにいらしてください。
千手観音菩薩立像 平安時代
また、福通寺さんには、千手観音菩薩立像、不動明王像、弘法大師座像、などの仏像が祀られています。
弘法大師座像は、令和2年の調査で体内から墨書銘が見つかり、応仁の乱の頃、文明3年に造立、寄進されたものと分かりました。
源平合戦の様子が描かれた大きな丸い二対の絵馬や
江戸時代、額や絵馬に和算の問題や解法を記した算額なども奉納されています。
千手観音堂の二枚の算額のうちの一枚は、福井県で二番目に古く、和算家、山口和の「道中日記」に記した84面の算額の唯一現存するものとのことです。
境内の梵鐘は、この後に話をお聞きした幸若舞の宗家幸若八郎九郎家の十一代直良が元禄5年(1692年)に寄進されたそうです。
境内では、ピンク色のしだれ桜が咲きほこり、お弁当を食べながら、景色を楽しみました。
朝日観音 福通寺
丹生郡越前町朝日7-61
電話0778-34-0621
HP: http://www.asahikannon.com/
続いては、八坂神社へ向かいました。
天王川堤防の桜も美しく、所々の桜を眺めながらの散策は気持ちが良かったです。
八坂神社の高橋宮司にご案内頂きました。
八坂神社は近世まで、祇園牛頭天王宮と呼ばれていました。神仏混合の影響も強く、神功皇后の御子 応神天皇の御願所となり、応神寺とも呼ばれていました。明治時代に神仏分離令が出され、八坂神社と称されるようになりました。
八坂神社には、国の重要文化財に指定されているいずれも木造の阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、阿弥陀如坐像、菩薩形坐像、光背(神仏の光明をかたどったもの)があります。
これらは、昭和38年に本殿造営の折に内陣檀下から発見され、現在は八坂神社の収蔵殿に保存されています。これらの仏像は応神寺のものと思われるそうです。
また、木造の十一面女神座像は平安後期の作品とみられ、頭部は仏像、体部は女神像という珍しい姿をされています。
元旦には、収蔵殿が公開されていました。
これらの仏像は、織田文化歴史館のHPに詳しく紹介されています。写真も掲載されていますので、ご覧ください。
八坂神社
福井県丹生郡越前町天王18-24
八坂神社の北側には番城谷山古墳群があります。
5世紀前半~中葉と言われる5号墳からは、埴輪や葺石、木棺、ガラス玉、刀剣などが埋葬されました。番城山古墳群からは、多くの埋葬品が発掘され、埴輪と葺石を持つ古墳としては、丹南地区では唯一の古墳と言われています。
番城谷山古墳
越前町天王、宝泉寺
その後、天王川に沿って歩き、西田中の幸若音曲発祥の地碑の前で、幸若舞の里づくり会の方の話を聞きました。
幸若舞は、曲舞(くせまい)を源流とし、室町時代に桃井直詮によって創始されました。
織田信長は、幸若舞の愛好者で幸若八郎九郎家に領地を与えています。
幸若舞は、軍記物を取り扱うものが多く、一子相伝の秘伝であり、民間に伝わることなく、幸若一族が東京に上京したために福井からは姿を消しました。
現在は、福岡県みやま市瀬高町大江に大江幸若舞が残っています。
越前町には、幸若舞の舞曲などの資料を保存展示する越前町幸若文化情報センターが越前町立図書館内にあります。
越前町幸若文化情報センター(越前町立図書館)
丹生郡越前町西田中2丁目210
更に歩いて、日吉神社へ向かいました。
戦国時代、一向一揆の戦火から守るため、朝日寺の仏像をかくまわれました。
大日如来坐像、十一面観音菩薩立像、地蔵菩薩立像、多聞天立像、広目天立像が日吉神社に安置されています。
17年と33年に一度の朝日観音御開扉法要の際に朝日観音へ里帰りする神事が行われます(17年は3体、33年は5体が帰られます)
大日如来さまを晒で巻き、輿に乗せ、地元の皆さんが担いで朝日観音までの1キロを歩きます。
前回は平成29年の開創1300年記念御開扉法要の時にお里帰りが行われました。
次の御開扉の時には、ぜひこの目で観に行きたいです。
日吉神社
丹生郡越前町内郡9-55
日吉神社の横には前方後円墳の郡栄塚古墳があります。全長30メートル以上
集落の中、神社の隣に古墳があるというのは、びっくりですが、5世紀前半の古墳と言われています。
郡栄塚古墳
丹生郡越前町内郡9-55
さてさて、盛りだくさん、お腹いっぱいになる朝日の古墳と仏像と幸若舞をめぐるツアーでした。
この日は11000歩ほど歩いて、いい運動になりました。
天気も良く、あちこちで、きれいな桜や花たちを楽しむことも出来、とても気持ちの良い一日でした。
e-とこ朝日さんでは、またこのような企画をされる予定とのことです。ぜひご参加ください。
今回参加して、たくさん勉強になりました。仏像や古墳について説明を受けることで、朝日をはじめ、越前町の歴史や文化にもっと触れたくなりました。
因みに、私が住んでいる織田地区の中古墳群は目と鼻の先にあるので、地元の史跡にももっと目を向けていこうと思います。
番城谷山五号墳から出土した大甕が、織田文化歴史館に展示されています。
また、織田文化歴史館のHPには、このツアーで紹介した仏像や古墳、幸若舞のことを詳しく紹介していますので、ぜひご覧ください。
越前町 織田文化歴史館
丹生郡越前町織田153-8
電話 0778-36-2288
営業時間10時~18時
定休日 月曜